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宮崎県マーチングバンド指導者協会がホームページを立ち上げたと知り早速参加したくなりました。
まず、私の個人的なマーチング歴史をお話しますと、昭和41年4月に音楽ましてや吹奏楽などずぶの素人の私に校長は「玉名女子高校に吹奏楽部を創るから顧問になれ」と命令されてかかわりが始まりました。
楽器の組み立て方も知らず、音の出し方もわからず右往左往の毎日でした。
とにかく、音が出なくて、出ても小さくてどうしたらよいか悩んでいたときにヤマハ九州の講師からマーチングというのがあると教えられ、昭和46年3月に取り組んでみました。
でもなかなかうまくいきません。その直後、自衛隊音楽隊の方からマーチングの協会が発足するそうだと聞いて5月大阪に出かけていきました。それが日本マーチングバンド指導者協会の発会式だったのです。
そのとき、西宮球場で「2000人の吹奏楽」を観て、「これだ」と思いました。外で思いっきり音を出し、しかも動き回れて面白いと思ったのです。
それから、玉名女子高校吹奏楽部は外での練習が始まりました。つまり、屋上です。
とにかく、私が勉強しなければどうにもならないと思い、当時は西宮でしか講習会がなかったので、機会あるごとに関西まで通いました。
マーチングに取り組んで見る見る生徒の技術が向上し昭和50年代半ばから吹奏楽コンクールで上位に入賞できるようになりました。そして、昭和57年から県代表の常連になってきました。
玉名女子はマーチングによってコンサートバンドとしても育ってきたのは紛れもない事実です。私はその実感を持って熊本や九州のマーチング普及に力を入れました。
久保田先生との出会いがあって「私でよければ」という思いで、都城の講習会講師として何度も行きました。高速道路が通ってない時代ですから、玉名から車で4時間くらいかかってましたが、結構苦にならずむしろ熱心な先生方と受講生と会えるのが楽しみでした。そして、その広がりは九州全域におよび各県でマーチングフェステイバルが開催されるようになりました。
「マーチング」という言葉もようやく市民権を得て、日常語として通用するようになりました。では、成熟したかというとまだまだです。なぜまだ未成熟かといいますと、かなりのスクールバンドが体育祭や町の行事でパレードをしますものの、楽に気持ちよく生徒が自主的にパレーデイングをやってないのです。
なぜなら、指導者つまり吹奏楽部の顧問がマーチングを好きになってくれないからです。現在の教育学部の音楽科や音大の教育方針では絶対マーチングは普及しません。
だからといってあきらめてはいけません。現場の音楽の先生や音楽以外の顧問の先生でマーチングを好きなってくれる人はかならずいます。その先生方と手を組んで生徒の中に特に教育学部や音大に進学して教員になりたい学生にマーチングの魅力を伝えていかなければなりません。
熊本はおかげで優秀な指導者が育っていますが、宮崎はまだそこまで育っていません。若手の指導者がもっと増えていいはずです。それに、宮崎県マーチングバンド指導者協会の役割があるのです。期待します。
平成15年6月12日
日本マーチングバンド指導者協会九州支部長 森 義 臣
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